元日の能登半島地震でびっくりされた方も多いと思います。被害に遭われた方や、亡くなられた方に心よりお見舞いお悔やみ申し上げます。普通の日常が、当たり前じゃなく奇跡の連続なのだと痛感させられました。
今回は、時間の大切さについて考えてみたいと思います。皆さんにとって時間はどれほど大切なものだと感じていますか?
男性の平均寿命が81歳なので、私(現在56歳)が平均寿命まで生きると仮定すると、残された時間は25年程ということになります。
25年は21万9000時間=1,314万分です。多いと思いますか?少ないと思いますか?
56年は49万560時間をすでに消化しているわけですから、今までの人生の半分もない時間しか
残されていないことになります。「今までの人生が長かった」と答える人より「今までの人生はアッという間だった」と答える人の方が圧倒的に多いと思います。
ではここからが今回の本題です。
残された時間をあなたは何に使いますか?
- 趣味?
- 家族や大切な人やペットとの時間?
- 仕事?
- 美味しいものを食べたり飲んだり?
- スポーツ?
- ギャンブル?
貴方の残された貴重な時間をどう使うかは貴方の自由です。
でも、もし貴方の貴重な時間を奪いに来る人が居たとしたらどう思いますか?
時間を奪うというのは、あなたにとって全く価値のない他人の悪口や噂話を吹き込みに来たり、延々と説教や愚痴をぶちまけていったりする行為のことです。
私はこの手の時間泥棒がとても苦手です。相手が奪いに来たその時間で、有意義な仕事をしたり、読書をしたり、動画を見たり、誰かと楽しい話をしたり、大切な人の愚痴を聴いたりすることに時間を使いたいのです。
おまえ矛盾しているやないか!というツッコミが聞こえそうですが、大切な人の愚痴を聞く時間は良くて、大切じゃない人の愚痴を聞く時間は時間泥棒と感じるのです。愚痴を聴く行為というのは、相手に耳を傾け共感し、痛みを和らげる行為です。ですから大切な人に対しては非常に意味のある行為ですが、通りすがりの人や自分の嫌いな人に文句や愚痴を延々聞かされたら「俺の時間を返せ!」って叫びたくなります。
話は戻りますが、過ぎ去った時間を取り戻すことは出来ませんから、時間はお金よりも貴重だといえます。その貴重な時間を使って何をするのか、ということについて考えるのは非常に意味のあることだと思います。と同時に誰かの大事な時間を奪っていないか振り返ることは同じくらい大切なことです。目の前の人と会話のキャッチボールでなくて、ひたすらボールを投げつけるピッチングマシンのような会話(会話とは言いませんが)で相手の時間をひたすら奪っていませんか?自分が1分以上話し続けて相手が頷いているだけなら、相手の時間を盗んでいる可能性大です。時間泥棒の自覚なく、話し続けているといつの間にか自分の周りから誰も居なくなってしまいますよ。