今回は自分が見ている世界は心の中を映し出した世界だという話をしたいと思います。
あなたは自分が見ている世界を周りのみんなも同じように見ていると思っていませんか?
貴方はこんな経験をした事はありませんか?会社の上司で大嫌いな人がいて、同僚にその事を話したら、思った程共感が得られなくてがっかりした。仲の良い友達に嫌いな芸能人の話をしたら、その友達はその芸能人の大ファンだった。など他人の価値観と自分の価値観の差を感じる事は度々起こります。
どうも自分が見ている世界と他人の見ている世界は違うものらしいです。20代の頃は世の中がキラキラ輝いて見えていたけれど、50代の今は何となく世の中に夢や希望が見出せないのは何故でしょうか。若い時は知らないことが多く、何を見ても新鮮に感じていたことが、経験を重ねるにつれ、大体のゴールが予想つくようになります。色んなことの結末が想像できるとドキドキ感は薄れていきます。世の中で実際に起きている事象は変わらないのに、自分の心の捉え方が様変わりしていきます。
実は私たちが見ている世の中は自分の心で作った色眼鏡を通してしか見ることが出来ません。世の中は希望に満ちていると思っている人には、いろんなことがキラキラしたチャンスの連続に思えます。お先真っ暗だと思っていると、あらゆることが悲観的に見えます。
世の中の人は好意的に自分を見てくれていると思える人は、自分が世の中の人を好意的に見ている人です。他人から疑いの目で見られているかもしれないと思う人は他人を疑いの目で見ている人です。会社の同僚が忙しいだろうと思える人は自分が忙しい人です。同僚がサボっているんじゃないかと疑う人は自分が隙を見てサボりたいと思っている人です。お酒が好きな人は、お酒が飲めない人を見て「こんなおいしい飲み物を飲めないなんて可哀そう」と思いますが、お酒を飲まない人は飲んだくれている人を見て「人生の時間を無駄に過ごして可哀そう」と思っています。自分の物差しでしか他人を評価できません。
ですから心穏やかに毎日を過ごすためには、自分の心の色眼鏡で世の中を見ているんだと認識して(心理学用語で認知のゆがみと言います)、起きている事象をなるべく感情を入れずにナチュラルに観る練習をする事です。あの芸能人が悪い事をして捕まったんだ。あの国会議員が賄賂を受け取ってたんだ。と淡々と事象を受け止め、腹立ちや怒りを伴わないでニュートラル(中立)な感情で受け流す練習をしてみましょう。
試しに街へ出たときに向こうから自分の方へ歩いてくる人を見てその人の生活背景を想像したり、家族の為に頑張っているんだろうな、自分に対しても好意を持ってくれているんだろうと思うと自然と相手を見る眼差しが優しくなっていることに気付くと思います。実はこれ、自分が買い物をしたお店などでクレームを伝えるコツでもあります。店員さんに優しいまなざしを投げかけながらコレコレこういう理由で困っていると伝えると、たいていの場合は相手も好意的に解決してくれようとします。店頭で炎上する人は、怒りの感情を携えてクレームを訴える人です。そんな人には相手も守りのモードで接していますから。自分の心の在り様が目の前の状況を創り出す最も分かりやすい事象です。
目の前の状況を変えるのに相手を変えるのではなく、自分の心の中の平穏が大事だということが分かっていただけましたか?