ブライトスタッフ通信vol.259

 いよいよ師走となり、今年もあと少しで終わりですね。今年は皆さんにとってどんな年でしたか?良い年も悪い年も、過行くスピードは誰にも平等のスピードです。でも辛い時は時の経つのが遅く感じるし、楽しいことはあっという間に終わりますよね。

 今回は皆さんに習い事の勧めについてお話ししたいと思います。最近あった同級生の集まりの忘年会で友人が「最近小唄を習い始めた。」と言っていました。始めたきっかけが、ある大先輩から日本の伝統文化を一つくらい身に着けた方がいいと勧められたからだとか。私も平成26年から詩吟を習い始めて11年経ちました。私の場合も日本人として一つくらいは伝統文化を身に着けたいという気持ちと、ある人が「年齢を重ねてくると自分を叱ってくれる人がいなくなって、傲慢になりがちだから何か習い事をして、他人から教えを乞うということをした方が良い」と言っているのを聞いてそんなものかと思ったからです。

確かに周りを見渡すと自分に注意をしたり叱ってくれる大人は殆どいません。もしいたとしても「老害だ」なんて決めつけて、聞く耳を持たなくなってきています。そのくせ若い人には何かにつけて注意したくなる、典型的な老害の自分の姿がありました。しかし、詩吟の教室に行っているときは、先生から褒められることもありますが、節回しが違うとか、音程がとか、色々指摘を受けます。それについていちいち腹を立てるなんてことはしません、教えられたように発声や節回しを直していきます。それが上達するということです。教えのとおりに直さなかったら上達しません。

以前、テレビ番組でスポーツマンタレントの武井壮(陸上十種競技元日本チャンピオン)がこんなことを言っていました。「運動神経の良い人とは、自分の足先や手の先まで神経が行き届いて1ミリ右手を上げようとか左足を出すタイミングをコンマ1秒早くしようと思ってそれが実行できる人だ。」つまり脳の指令通りに身体が動かせる人ということが運動神経の良い人の定義ということです。

 習い事や運動についてはわかりますが、ビジネスに置き換えるとどうでしょう。先輩や上司から間違いを指摘された時に、それでも自分のやり方を貫いて指摘を無視するということはありませんか?文化芸能の世界で言ったら先生の指導を無視したり反論したりして我流を押し通すということになりますし、スポーツの世界で言ったらコーチの助言に反論して自分のやりたいようにやるということです。習い事やスポーツの世界なら「なぜ貴方はここに習いに来ているの?」と言われるような行いを何故か普段の生活や仕事の場面ではよく見かけます。仕事が出来る人=運動神経の良い人とするなら、指摘を受けたらすぐに動きを変えられる人が運動ならば運動神経の良い人、仕事ならば仕事の出来る人といえます。何回か指摘されて反論を繰り返していると、おそらく叱られる回数が極端に減ると思います。それは奇跡的に上達しているか見放されているかのどちらかです。  自分を律するというのは大変難しいことです。人は感情に翻弄される生き物だから、指摘や指導に対して感情で反応してしまうことがあっても、それは普通のことです。感情を無視して自分の行動を認知することが出来る人は殆どいません。だからこそ自分を律する場を持つことが大切なのです。習い事は主従関係がはっきりしているので、そういう環境に身を置くことで、自分をトレーニングするのです。貴方は自分を律する環境を持っていますか?