雪かきでダイエットをしようと企んでいたのですが、体を動かした後のご飯がおいしすぎて、ついつい食べ過ぎてしまって、体重がプラマイどころか、プラスアルファになっている今日この頃です。それにしても今年はよく降りましたね。
今回は仏教に基づいて他人に施すことの大切さをお話ししたいと思います。
「施す」と聞くとどんなことを思い浮かべますか?天災で被災した人に物やお金を寄付したり、子ども食堂を運営したり、戦争で家や家族を失った人達に寄付をするといったところでしょうか。
仏教では他人に施すことを「布施」と言います。仏教を説かれた釈迦は、日中お弟子を連れて托鉢に回りました。托鉢とは街角で立って道行く人々に布施を勧めたり、家々を回って布施を勧める活動です。よく、物乞いと間違われるのですが、釈迦は元々王子でしたから、物乞いをする必要など無いわけです。では何故、釈迦が人々にお布施を進める活動をしたのでしょうか。その理由を説明するのに分かりやすいエピソードがあります。ある日釈迦が弟子を伴って托鉢で家々を回っていると道が二手に分かれる分岐路がありました。片方の道は裕福な家の多い集落につながる道、もう一方は貧しい家の多い集落へつながる道です。釈迦は迷うことなく、貧しい家の多い集落へと歩を進めようとしました。するとお弟子の一人が釈迦に進言します。「お釈迦様、こちらの道は貧しい集落につながる道です。布施を勧めても施す物も金銭も無いものが殆どです。もう一方の集落は裕福な家が多いので、そちらに行かれた方がよろしいかと存じます」すると釈迦は「今生で貧しい者は、過去世において布施をしてこなかったからなのだよ、そんな者たちにこそ托鉢で布施のご縁を与えねばならんのだよ。」と言われて、貧しい村へ向かったとお経に説かれています。つまり、釈迦は托鉢によって人々に「布施」という功徳(善い行い)を積ませていたということなのです。
ここで、仏教で教えられる布施についてもう少し詳しくお話ししたいと思います。布施とは物や労働、言葉を施すということです。施す相手について3つ教えられています。1つめが恩田(おんでん)、2つめが敬田(きょうでん)、最後が悲田(ひでん)です。三田(さんでん)と言われます。1つめの恩田とは。恩を受けた相手ということです。私たちの身近で計り知れない恩を受けている相手、それは親です。おぎゃーと生まれてから死ぬまで、幾つになっても、ご飯を食べているか、仕事は順調か、心配事はないか・・・などと常に子供のことを気にかけています。常に気にかけてもらう恩を受けています。
施す相手を田んぼに見たてて「〇田」と言われているのは、田んぼに籾種を蒔けば、やがて稲が育って、私たちの食卓に上がってくるように、施した(蒔いた)種が必ず生えて自分に還ってくることを表しています。2つめの敬田とは、敬うべき徳を備えた相手ということです。現在悟りを開いた人はいませんがお釈迦様のような悟りを開いた人がいたら、まさに敬田です。3つ目が悲田、悲しむべき相手とは災害に会って家を亡くしたとか家族を亡くした等々、悲しみに暮れている人です。なぜ相手を選んで施しなさいと教えられるのでしょうか、それは間違った相手に施せば悪事を助けたり、相手をダメにしたりするからです。 三田に施せば、必ず自分に還ってきます。お金がない時は、身体を使ったり、親切にしたり、笑顔で接するのも布施だと教えられます。出来ることから始めてみませんか。